季節の端境にて
十一月は、秋の深まりと冬の気配が交差する季節の端境である。日差しはやや傾きを増し、風が身に染みるようになってくる。紅葉は最盛期を迎え、街路樹は赤や黄色に色づいてくるが、それも束の間、葉はやがて地に落ち、冬支度の始まりを静かに知らせてくれる。華やかさと寂寥を感じる日々だ。
この時季、朝夕の冷え込みが一段と厳しくなり、温もりの有難さをしみじみと感じるようになる。外気の冷たさとは対照的に、部屋の中のぬくもりや湯気の立つ食事、湯船の心地よさが格別に感じられるのも、十一月の特徴である。季節の料理にしても、根菜類の煮物や土鍋を囲んだ食卓が心を和ませ、心身ともに“整う”瞬間が増える。これは、単なる気温の変化だけでは説明できない、季節の持つ力である。手がかじかむ朝に手袋をはめ、湯気の立つカップを両手で包む瞬間に、小さな幸福を感じる。毛布やこたつも、暮らしの中に登場し始める。
文化的にも十一月は興味深い。七五三の晴れ着姿や、街に流れるクラシック音楽、灯火のともるライトアップイベントなど、静かでありながら心を豊かにする風物詩が多い。読書の秋、芸術の秋と呼ばれる季節でもあり、まさに文化を味わうための月でもある。図書館や美術館など、静けさを楽しむ場所に自然と足が向かうのも、この時期特有の感覚であろう。人と過ごす時間よりも、自分自身と過ごす時間のほうが大切に思えるのも、十一月の空気が持つ静けさゆえである。
また、過去と未来を結ぶ月でもある。年の終わりが視界に入り始め、人は自然とこれまでを振り返り、残りの時間に何を残すべきかを考えるようになる。焦燥とは少し違う、静かな決意のようなものが心の奥底に芽生えるのもこの時期の特徴だ。手帳に記された過ぎし日の出来事と、白紙のページに思いを馳せる時間は、他のどの月よりも重み持って感じられる。
現代の暦では、十一月は単なる十一番目の月に過ぎない。しかし、自然の変化、人の心の機微、文化の営みが交差するこの時期には、他の月にはない独特の趣がある。冬の入口に立つこの月にこそ、少し立ち止まり、自らを見つめ直す時間を持ちたい。静かに移ろう季節のなかにこそ、人は本質に触れることができるのではないか。そう思えること自体が、この月が与えてくれる贈り物なのかもしれない。
<レーダーより>