丸セパ 即納 共栄製作所株式会社のホーム > 共栄ニュース > 共栄ニュース 2017年8月号 -第322号-

「たのみ」の季節

 

京都新聞の1面コラム「凡語」は、こんな書き出しで始まっていた。「盛夏なのに、絽(ろ)の黒紋付き姿の彼女たちはどこか涼しげに映る。八月朔日(ついたち)のきょうは『八朔』(はっさく)。京都市東山区の祇園町では、正装の芸舞妓が芸事の師匠やお茶屋をあいさつに回り、日ごろの感謝を伝える。『相変わりませず、おたのもうします』」

 八月朔日、略して「八朔」と称されるこの行事は、かつては旧暦8月1日、現在の9月上旬、つまり初秋に行われていた。早稲種の穂が出る時期に五穀豊穣を祈る―すなわち「田の実を祈る」行事が「頼み」に転じ、日頃、頼み=お世話になっている方々に土産を携えて挨拶に出向く日になった。祇園だけでなく茶の世界でもこの日、道具を作る職家が宗家へ挨拶に赴く。この習わしが「中元」の起源になったとの説もある。

 徳川家康が江戸城に入城したのも、天正18(1950)年八月朔日。その後260余年にわたる江戸幕府の歴史を拓く記念の日になった。主従関係を重んじた家康は、「たのみ」「たのむ」に関わりのあるこの日を、あえて選んで江戸城に入ったとされ、江戸幕府は以後、「八朔」を正月に次ぐ大事な祝日にした。

 「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず」で知られる家康の遺訓には、自身を律する言葉が多い。▽得意絶頂の時こそ隙ができることを知れ ▽及ばざるは過ぎたるより勝れり ▽戦いでは強いものが勝つ。辛抱の強い者が 

▽世に恐ろしいのは勇者ではなく、臆病者だ ▽堪忍は無事長久の基。怒りは敵だと思え—-等々。勝って驕らず、家臣の扱いに格別の意を用いたとされる。

 こんな逸話も残る。秀吉の前で諸大名が、自分が持っている宝物自慢をしていた時のこと。秀吉から「おぬしの宝物は何か」と尋ねられた家康は、こう答えたそうだ。「私にはこれといった宝物はありません。ただ、三河には、私のために命を賭けてくれるという武士が500騎ほど。これが、何物にも代え難い私の自慢です」家臣が聞いたら、ますます主君に忠義を尽くして働こうと思うに違いあるまい。

現代社会でも、時に「頼み」あるいは「頼まれる」ことも多々ある。互いにそれを受容する寛大な心があってこそ、組織や社会は難局を乗り越えることができる。

レーダーより