丸セパ 即納 共栄製作所株式会社のホーム > 共栄ニュース > 共栄ニュース 2018年6月号 -第333号-

仕合わせ

人が、必要最低限のことしか喋らない「無言時代」になった、と評する人がいる。

たしかに、エレベータに乗ってドアが閉まりかけたところへ、まだ乗ろうとする人がいたことに気付いたから、とっさに「開く」ボタンを押して迎え入れたら、セーフ。それなのに、「すみません」「ありがとう」と声に出すどころか会釈さえしない人が近頃いる。

 あるいは満員電車内で、それまでは何の気配も見せていなかったのに、駅に止まる寸前に突然、無言でグイグイ人を押し退けて降りようとする人もいる。もう少し前に「すみません、降ります」と意思表示してくれていたら、行く手の何人かが体を寄せて空間を作り協力したろうに、無言で押されると逆に、足を踏ん張り押し返すのが人間の防衛本能。あちこち小突かれたり足を蹴られたりして、互いに不愉快な思いをする。

 新幹線や航空機でも、前席の客がいきなり背もたれをフル・リクライニングで倒したおかげで膝頭を痛打した時などは、その背を足で思い切り蹴飛ばしたい衝動に駆られる。倒す前にチラッと後席を振り返り、「いいですか?」となぜ声を掛けられない?

 それほどまで言葉を発しなくなった最近の日本人が、機械相手だと、喋りかけたり、喋ってもらったりして、喜んでいる。スマホに向かって「○○に電話して」「明日の天気は?」と喋ったり、自宅居間でもロボットに「クーラーを点けて」「部屋の灯りを消して」などと話しているCMを見ると、そのぐらい自分で動けと思う。

 「すぐキレやすい」と言われる現代。「原因の一端は『無言社会』にある」と社会学者の森真一氏は指摘する。なぜなら、いまの日本人は例えば苦情を、匿名性で守られているネットには好き勝手に書き込むのに、不満を相手に言葉で上手に伝えることができない。

言われる方も普段言われ慣れていない。つまり双方が本音で話すことへの”耐性“が養われていないため、「互いにすぐ沸点に達し、キレてしまうのだ」と(著書「どうしてこの国は『無言社会』となったのか」。抜粋・要約)。そして、こうも書く。

 「『幸せ』は、元は『仕合わせ』と書いていた。『仕』は動詞『する』の連用形の『し』。

つまり、誰かと誰かが『する』のを『合わせる』わけだ。『すみません、通して下さい』と声を掛け、掛けられた側はそっとすき間を空けてあげる。これが『仕合わせる』こと。『仕合わせ』の機会を増やすにはどうすればよいかを考える時、『無言社会』にどう関わるべきかの答えが出てくる」 お互い、『仕合わせ』になりましょうよ。

(レーダーより)