丸セパ 即納 共栄製作所株式会社のホーム > 共栄ニュース > 共栄ニュース 2022年10月号 -第385号-

大日本沿海輿地全図

 今から200年前の文政4年(1821年)、伊能忠敬が中心となって作製した『大日本沿海輿地(よち)全図』が完成した。「伊能図」ともいわれるこの日本全土の実測地図は、彼が隠居後の55歳から71歳まで、実に全国4万キロを測量して作製した。いまこの地図をネットなどで眺めてみてもかなり細かく調べられているのが分かる。そのクオリティの高さはすごいというしかない。

 地図の完成から約30年後の嘉永6年(1853年)、アメリカのペリー提督率いる黒船艦隊が浦賀に来航したが、ペリーはシーボルトの著書『日本』に掲載されていた伊能図の正確さに驚愕したという。自分たちが江戸湾の付近を測量して作った地図と比べると、伊能忠敬が“足”で作った地図のほうが遥かに精度が高かったからだ。

 ペリーはアメリカ政府から武力行使の権限が与えられていたものの、それまで野蛮国と思っていた日本が、実は知的レベルが高く文明国であると認識したことで、武力行使を諦めたともいわれる。

 当時の世界の趨勢は、いち早く産業革命を成し遂げたイギリスが覇権国として関税の面でも海外貿易の主導権を握っていた。相手国に不平等な貿易協定を押し付け、アヘン戦争で清国やインドを屈服させたのは承知の通りである。イギリスの植民地支配はさらに強化され、それに反発する民衆を弾圧するための法律を次々と制定していった。

 1840年のアヘン戦争の23年後に下関戦争が起こる。幕末の日本国内では外国人や開国派要人を狙った攘夷テロが横行したが、これも外国船への砲撃によって勃発した事件である。これによって日本は国際社会で“野蛮国”とみなされたのか、関税率は当時の植民地並みの5%に引き下げられてしまった。

 自国の関税を自主的に制定する権利である関税自主権。独立国ではこれを有するのが原則だが、この当時関税制度を完備する国は先進国に限られ、発展途上国では先進国との条約等により制限されることが多かった。国家収入を増やすという根幹の目的以外にも、産業の振興や外交という側面もある。これを回復させたのは明治44年(1911年)のこと。世界の予想に反して日露戦争で日本が勝利した後、小村寿太郎らの力でようやく勝ち取ったものだ。

 伊能忠敬が『大日本沿海輿地全図』を完成させてから約90年後のことだった。

<レーダーより>